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この「なんぶ幸朋苑ふれあいエッセー」は平成18年9月に開設してから早いもので丸2年を迎えようとしています。その間、多くの方々にご覧頂き、なんぶ幸朋苑ホームページの顔として親しんでいただいていますが、このたびの人事異動で管理者が「T村」から「O形」に交代することになりました。
これからも、このコーナーが皆様となんぶ幸朋苑の架け橋になれるよう頑張って参りますので、新しい管理者「O形」をどうぞよろしくお願いいたします。
みなさんの長年のご支援に感謝いたします。みなさんお元気で~^^
(T村)
なんぶ幸朋苑のご利用者パソコンコーナー「なんぶふれあいステーション」からいつも聞こえてくるコンピュータのナレーション、その後「あら、しまったぁ!」「うーん、そうきたか!」とご利用者の声が響きます。
デイサービスのご利用者 福田則夫さんはご利用日にはいつも、ふれあいステーションに座られて「柿木将棋」(コンピュータの将棋ソフト)をされています。レベルも初めは「レベル2」からスタートされて、今では「レベル4」でコンピュータと対戦されています。
先の日本神経科学学会でも将棋が脳に与える「活性化」について報告がありましたが、福田さんはまさにその報告通りで本当にお元気そのものです。
「痴呆予防」で脳の活性化は欠かせませんが、他のご利用者も是非、ふれあいステーションで脳の活性化をしていただければと思います。
(T村)
行事の写真をフラッシュにして次々と表れるようにしてみましたが、その一枚に写っていた方が、先日お亡くなりになったとのこと。今年の花見で撮影されたもので、とても笑顔が素敵な写真です。本来であれば、亡くなった方については写真を削除するのが当然だとは思いますが、ホームページ掲載について既にご家族の承諾を得ていたこと、桜の下でスタッフと撮った写真があまりに素敵で、このまま削除してしまうと亡くなったご本人が悲しまれるんではないかと思い、デイケアスタッフと相談の上、しばらく掲載を続けることにしました。
このように、老人施設では掲載中の方が急に亡くなってしまうことが少なくはありませんが、生前私たちの施設をご利用いただき、その中で光り輝いた一刹那をお伝えすることは、決してタブーではないと思います。
近々、スタッフがお悔やみに伺い、ご家族も知らなかったこの笑顔をご覧頂くと思います。
桜の花びらとともに千の風になられたこのご利用者の冥福をお祈りするとともに、これまでのなんぶ幸朋苑のご利用に感謝申し上げたいと思います。
(T村)
http://www.city.unnan.shimane.jp/
これまでは田舎のイメージが強く、一度木次の桜まつりに行ったくらいで、他には関心を持たなかったこの雲南市が最近、とみに気になりつつあります。
それは、私が主宰する国際交流ボランティア団体で副会長をお願いしている方と、先日、知り合いから紹介を受けた別のボランティア活動をされている方が雲南市大東町の下久野という同じ村の出身ということが判明して驚いたからです。
たまたま偶然とは言え、私が感心するくらいとても熱心に奉仕活動をされるこのお二人が同じ環境で育ったということは、そういう活発な人を生んだ土壌のようなものが、この雲南市(大東町)にあるのではないかと考えました。
また旧大東町の国際交流団体が山間地では珍しい国際交流事業を20年以上も継続して行っていることから、そのあたりのお話を伺うべく、雲南市を訪問してきました。
大東町下久野の景色を携帯で撮ってみました【↑クリックで拡大】
最初に訪問した大東町では、その昔、木次線を利用して、松江で仕入れた食品を沿線で売り歩く商売があったそうですが、今では地元の稲作農家の方がオリジナルブランドのお菓子やケーキ、漬物や麺などを販売しておられました。コンビニもなく、人通りも少ない場所でしたが美味しかったというリピーターも大勢いらっしゃるそうで、何もないところから何かを生み出す力のようなものを感じました。
http://www.nosai-shimane.jp/nosainews/nosainews.php?date=h180303
その後、旧大東町役場で国際交流の資料をいただきました。
次にお邪魔した雲南市役所国際交流室では、日本人スタッフのほかオーストラリア、アメリカ、韓国からの国際交流員が配置されており正直驚きました。人口15万の米子市でさえ、国際交流員は中国、韓国からのお二人しかいないので、この雲南市では一人もいないか、いてもせいぜいお一人くらいだと思っていたからです。
国際交流員さん達は本来、地域の国際意識高揚のための語学指導やイベント時の通訳、翻訳などが主な仕事になると思いますが、こちらでは国際交流団体が開催するような交流イベントを自分たちの企画として実施して、その実施状況が市役所のホームページで公開されていました。
自分たちの出身国だけではなく、色々な国の文化に触れるよう工夫されており、その回数や内容など、このあたりではないくらい充実していて、これには本当に驚かされました。同じ山陰の町なのに、いったいどんな違いがあるというのでしょうか。羨ましい反面、本当に不思議な気がしました。
私もこれまで、様々なイベントや企画をしてきた中で数多くの横槍を受けてきましたが、このあたりにはこのような新しい発想に対し「まず、やってみよう」という感覚があるのかもしれません。人が集まると、様々な意見の対立が発生するものですが、それを超えないから結果的に「何もしなかった」ということにつながっていくのだと思います。悲しいかな今の米子にはそれがあるのかもしれません。
米子には縦横に高速道路が走り人が行き交い国際空港もあるのに、地域住民の国際交流意識のレベルでは雲南市と比べて完全に立ち遅れている気がします。米子-ソウル便で韓国からやってくるお客さんたちは米子には到着するけど、滞在はしません。ほとんどが素通りするからです。米子市では昨年ようやく、市民が作る「市民シネマ」が出来ましたが、雲南市は「うん、何?」という全国区の映画ができています。
そう考えるとインフラが整って人がいるから魅力的な街だとは限らないようです。
このゴールデンウィークにはお隣の境港市が鬼太郎ブランドでにぎわいましたが、街の魅力というのは最終的にはそこに住む一人一人のアイデアやマンパワー、それを受け入れる地域性に左右されるんだなと実感したT村なのでした。
(T村)
内容は、以前このコーナーで紹介した「旧山中高等女学校」の彩色画を同窓会の会報に使用させていただきたいというご依頼でした。
その写真というのはケアハウスのご利用者であったTさんにパソコンのお話しをした際「そんなにええもんなら、私の出た山中高等女学校の絵でも見せてもらえーだかや?原爆でみんな焼けてしまったけん何にも残ってないだよぉ」と言われたのがきっかけで、インターネットで白黒写真を探し出し彩色をして台紙に貼って差し上げたものです。
そのようにお一人のご利用者に喜んでいただこうとしたものが東京に行って、もっと多くの方に見ていただけるのならその後、天国に行かれたTさんもきっと喜ばれるのではないかと思い、同窓会報へ掲載をしていただくことにしました。
そして、先日、依頼されたK田様から掲載の報告とお礼のメールが届きましたのでご紹介いたします。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
T村様
先日、旧山中高等女学校の写真の使用許可のため連絡させて頂いたK田です。
3月上旬から中旬にかけて、許可を頂いた写真を掲載した同窓会の案内状を100通弱発送致しました。
(写真の校舎で過ごされた、昭和20年以前の在席者は半数くらいです)
今回の案内は事前のお知らせで、出欠などの返事を頂くものではないのですが、それでも10名以上の方から葉書や封書を頂きました。
その多くは残念ながら、年齢や体調の関係で出席は難しいであろうというものでありましたが、数名の方の返事にT村様の写真のことが記載されていました。
「校舎の写真を大変嬉しく拝見しました」「貴重な写真を有難うございました。何度も見させて頂きました」といったもののほか、「校舎の写真も大変懐かしく、何とか2~3時間でも外出できるよう、身体をだませないかと考えましたが・・・」という内容もあり、心に響くものがあったのではないかなと思っております。
それ以外にも多くの方が懐かしさとともにご覧になったことと思っております。貴重な写真を使わせて頂き心より感謝しております。
同窓会は10月ですので、引き続き旧山中高女の卒業生の方々がなるべく多くご参加頂けるよう活動していく予定です。
今回は本当に有難うございました。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
実際に見たことがない校舎の彩色でしたが、数名の方々が懐かしくご覧いただけたとのこと。先日の写真セラピーもそうですが、コンピュータを活用した癒しというものを実感したT村なのでした。
K田様ありがとうございました。
(T村)
山陰鉄道研究会を主宰されていた米子市道笑町の祖田定一さんがお亡くなりになったとのこと。
つい先日もお手紙を頂いて、益々お元気に活動されていると思っていたのでとてもショックを受けました。
これまで、このふれあいエッセーのコーナーで昭和42年に廃止された米子市と西伯町(現在の南部町)を結ぶチンチン電車「法勝寺電車」の話題を数回取り上げてきましたが、祖田さんはその電車の記録を後世に残そうと、写真集を出版されたり、ギャラリーで写真展を開催されるなど、多分野に亘って活動をされて来られました。 http://diarynote.jp/d/66402/20060803.html (参考)
昨年は、なんぶ幸朋苑のホームページを見て、夏休みの自由研究のテーマに「法勝寺電車」を取り上げてくれた男の子にも、この祖田さんを紹介して、色々聞き取った結果「米子市児童文化センター」に掲示される素晴らしい研究が出来上がりました。なんぶ幸朋苑のご利用者パソコンで「法勝寺電車」のスクリーンセーバーを上映していることも喜んでおられて、「なんぶ幸朋苑でも私のパネルを展示してお年寄りにも見てもらったらいいですね」と言っていただいており、近いうちにお借りしようと思っていた矢先の訃報でした。
この場をお借りして、これまでの感謝を捧げると共にご冥福をお祈りしたいと思います。祖田さんありがとうございました。
(T村)
「何ですか、これ?」と聞くと、認知症状のあるご利用者が化粧をしたように見えるご自身の写真を見て喜んで見ておられる、との事。
確かに着色はしてあるものの、白黒コピーだと若く見せるにはかなり無理があり、写真を直接加工したらどうかという話になり、FBさんより「T村さん、この方を写真で若返らせることってできますかね~」と相談をいただきました。
写真をレタッチ(修正・加工)するソフトを持っていたのと、この方がどのような反応を示されるかに興味があったので、「いいですよー」とお受けすることにしました。
先ずは写真の選定。数多くの写真の中で、この方がアップで写っているものを選んでいただきました。
それから段階的に「ぼかし」でお顔のしみ、しわを目立たなくして、「カット・移動」で頬のたるみを取り、「部分コピー」で歯の並びを整え、目を大きくしました。
およそ15分くらいの作業でしたが、見違えるほど若くなられた写真をカラーコピーして、デイサービスに納めました。
今日は、きれいに額に貼っていよいよご本人と対面です。反応が気になっていましたが、「私に似た人がおる」「ええなあ」と口数が増し、上機嫌であったとの報告とお礼を言われました。
昔の写真があれば、髪型なども似せることができたのですが、初めての写真セラピーは大成功といったところでしょうか。
現場職員の皆さんは直接処遇でご利用者満足度を高められますが、直接関わることができない私でもこのような形でご利用者に喜んでいただければ幸いです。写真加工もご利用者満足につながるんだなあと感心したT村なのでした。
(T村)
先日、日本海新聞の記者さんから電話がありました。
内容は、実は1月になんぶ幸朋苑を訪問した李京源さんの記事を、事実関係を伝えるだけではなく、全体的な内容を伝えたほうがいいのではないかとの申し出ででした。よく聞いてみると、同じような記事が他紙と重複しており、記事にしても埋もれてしまうとの考えがあったようです。一人の俳優が来たということだけではなく、なんぶ幸朋苑に来てどう感じ、どう思ったのか、背景も含めて記事にしたいとのこと。
そこで聞いた内容に「米子市のある施設を訪問して・・・」というくだりがあったので、「ちゃんとなんぶ幸朋苑の名前を出してくださいよ。ある施設ではだめですよ!」と言ったところ、電話の向こうでわかりました、わかりましたと笑っておられました。
翌日、地元日本海新聞を見たらしっかりと一面、「海潮音」欄に「なんぶ幸朋苑」の文字が・・・^^
「よっしゃあ」と頭に思いながら、どれくらいの人が目にしてくれるのか心配していたところ、なんと20人くらいの人から記事見たよ!と、連絡がありました。中でも一番多かったのが「なんで事前に教えてごさんだ!」と、いうものでしたが・・・^^;
ともかく、紙面の目立つところに勤務する「なんぶ幸朋苑」の文字があるとはなんとも嬉しいものです。
それだけではなく、ご利用中のご家族や、ご親戚が偶然見た新聞の「なんぶ幸朋苑」の文字を通して、「あ、そういや最近、面会に行ってないなあ」と入居中のおじいさん、おばあさんを思い起こしていただけたら更に嬉しいですね。
(T村)
李京源さんは、「冬のソナタ」「ホジュン」「宮廷女官チャングムの誓い」など、日本でも有名な韓国ドラマに多数出演しておられる人気俳優で、以前知り合った私、T村の交流企画にボランティアで応じていただきました。
知らせを聞いて駆けつけた近所の方々やカメラを手にした職員も集まり、なにやらソワソワした雰囲気の中、「チャングムの誓い」で着用されていた衣装を着ていただいた李京源さんが登場、さっそく施設見学をスタートしました。実はこの衣装着用も李京源さんから「普段着よりも衣装のほうが喜んでいただけるのでは・・・」と、申し出があったもので、お受けしたこちらも思わず恐縮してしまいました。
はじめに訪れたデイサービスでは、職員やご利用者の握手やサインに気軽に応じられました。
ケアハウスでは「チャングムの誓い」の登場シーンをまとめたDVDの上映のあと、ミニトークショーを行いました。その後の質問コーナーでは、次回作品のことや監督さん、共演者のことなど独学で覚えたという日本語で流暢にお話をされました。最後に集まった皆さんに韓国式の「クンチョル」(最大級の敬意を表す礼)で、「また会う日まで皆さんお元気で!」と別れのあいさつをされました。
その後、特養、デイケアと回られ新聞社の取材に応え、予定より30分遅れでなんぶ幸朋苑を出発し、琴浦町の日韓友好交流公園に出発しました。
移動中の車内では今回のなんぶ幸朋苑訪問を終えて、「介護スタッフが思っていたより若い人ばかりで驚いた。感動して涙してくれたお年よりもいて本当に行ってよかった。私には両親がいないので、あのようなお年寄り達は自分の親のように思えるが、そのお年寄りたちをお世話してくれているあの若いスタッフたちに何か恩返しをしてあげたいと思った。チャリティなどで施設への寄付もできるが、あの職員たちを慰労する食事会かなにかできたらいいですね。これからはファンサービスだけでなく、老人施設のお年寄りにも喜んでいただける活動をするというのは神様が与えてくれた宿命なのかもしれませんね。」と、おっしゃっていました。
ご利用者を気遣っていただくだけでなく、スタッフまでも思いやっていただく思いがけない素敵な言葉に、なんぶ幸朋苑を代表してお礼を申し上げましたが、衣装の着用など心配りのできる、なんと素晴らしい人なんだと感心しました。
その後、日韓友好交流公園視察、日本海新聞社表敬訪問、米子空港の知事面談、鬼太郎ロード視察、松江の人たちとの交流と堀川遊覧と周り、米子空港から最終便の東京行きで機上の人となられました。
2日間、のべ17時間半というあっという間の交流企画でしたが、李京源さんという俳優の飾らず、真摯な、時にはユーモアたっぷりの人柄に正直惚れてしまいました。近く、中国、韓国、日本とロケで周られるそうですが、体調に留意され、今後ますますご活躍いただくようお祈りします。
そして再び、なんぶ幸朋苑を訪問していただく日をご利用者の皆さんと共に待ちたいと思います。
今回の交流に関してお世話になった全ての皆さんに感謝申し上げます。
(T村)
みなさま、新年あけましておめでとうございます
ところで、まだ新しいと思っていた年号「平成」も20年目を迎えてしまいましたね。
明治生まれの方が減少しつつある一方で、平成生まれの成人が誕生するなんて、なんとも感慨深いものがあります。
そう考えると、なんぶ幸朋苑はその世代間の架け橋のような気がします。
平成生まれの介護士が明治生まれのご利用者をお世話する、そんな日も近づいています。
本年も永年生きてこられた人生の先輩であるご利用者の皆さまの思いのバトンをしっかりと受け止めるように、しっかりお世話をさせていただきたいと思います。
また、地域に開かれ、地域に貢献できる施設を目指し、頑張って行きたいと思います。
本年も、なんぶ幸朋苑をご愛顧いただきますよう宜しくお願いいたします。
(T村)
「今年も色々ありましたねえ~」「おうちの正月準備はお済みですか?」などなど。。。
その中で私のすぐ後ろにあるデイルームから女性スタッフの「○○さん、今年も楽しいお話をたくさん聞かせていただいてありがとうございました」との声が聞こえて来ました。
私は背中を向けていましたが、それを聞いてなんともいえないいい気分になりました。
ご利用者と職員がいい関係で結ばれているだけでなく、スタッフがご利用者に対し常に謙虚である様子が伝わってくるからです。
サービスを提供する側が一方的に何かを与えるのではなく、楽しい時間を共有したり知らなかったことを教えていただいたり、双方向に満足を得られるなんてとても素晴らしいことだと思います。
新年もこの気持ちを忘れずに、私も負けないようにご利用者満足度を高めて行きたいと思います。
来たる年が皆様にとりまして素晴らしい年になりますように・・・
(T村)
苑内のあちらこちらに作品が展示され、一日中華やいだ雰囲気に包まれました。
ケアハウス・特養・老健のステージでは趣向を凝らした出し物の数々にご利用者の歓声や拍手が沸き起こっていました。また、たい焼きの屋台も出て苑内に美味しい香りも漂っていました。
今回もまたスタッフだけではなく地域ボランティアの皆さんにも支えられてすばらしい文化祭となりました。
心より御礼申し上げます。
今年もいよいよ押し迫って参りました。今年は皆さんにとってどんな一年だったでしょうか。
あと一ヶ月・・・しないといけないこと、たくさん思い出してしまいました。
(T村)
先日、大盛況のうちに閉会した「全国和牛能力共進会鳥取大会」では4日間の開催期間中、地元をはじめ全国から28万人もの人が集まったそうです。開催前には牛のお祭りにどれくらい人が来るのか想像もつきませんでしたが、牛肉の試食や多彩なイベントなどが人気を呼んで目標来場者数を大きく上回る結果になったようです。私も最終日に行きましたが、美保基地駐車場から会場までのシャトルバスも無料で、各所に配置された案内や展示、イベントも充実しており、とても快適に過ごすことができました。
そんな中、裏方として活動をされていたのが一般公募で集まったボランティアスタッフです。活動も広範囲で、実に様々な年齢層の方が活き活きと活動されていたのが印象的でした。
私も様々なイベントでボランティアスタッフをしていますが、そこで出会う人たちはいつも皆さん一生懸命で、学ぶことがとても多いです。
私もおととい、昨日の2日間、大阪城公園で開催された「ワンコリアフェスティバル2007」にスタッフ参加してきました。以前、主催者のチョンカプスさんにお世話になっており、今回はその恩返しということでの参加でした。
遠方参加は私だけかと思いきや、東京からなんと6人も来ていました。夜行バスで来て、イベントが終わったらそのまま夜行バスで帰るそうで、その機動力には頭が下がる思いです。
現場では韓国語や日本語が飛び交う中、プロのイベントスタッフや初めて顔を合わした人同志、協力し合いながら、時間通りに多彩なイベントを進行させていきました。舞台関係以外にも出店管理や警備、販売、広報、ゲスト対応など、年齢を超えた連帯感を感じることができました。
およそ4万人のお客さんが集まりました。
(http://hana.wwonekorea.com/ ←リンク)
私は舞台進行係でしたが、人手が足らずに韓流スターの移動警護や車輌運搬など、早朝から夜までほとんど座らずフル活動をしてきました。ステージ裏でお話した韓流スターのコン・ヘヒョさん(冬ソナのキム次長役)は、以前出会った私のことをしっかりと覚えていただいててビックリしました。年も同じだということで会話が弾み、個人的にも楽しむ事ができました。おまけに・・チャングムに出演されたイ・キョンウォンさんは来年、NHKのお仕事で米子に来る予定があるそうです。楽しみですね。
あっという間に時間が経過して大盛況のうちにフィナーレを向かえました。その後、ステージ裏で行われた出演者&スタッフ打ち上げ会に参加した後、帰途につき今朝4時半に無事帰宅しましたが、疲労感と共に充実感が込み上げてくる有意義なボランティア参加となりました。ボランティアは「ラクではないけど楽しい!」と実感したのでした。
なんぶ幸朋苑でも、様々な形でのボランティアを募集しています。演奏や踊りだけでなく、お話相手など、お年寄りに喜んでいただけるボランティアもたくさんあります。お気軽にお尋ねください。
(T村)
今日、生活支援ハウスのAさんが嬉しそうに「パイナップルが伸びたけん写真撮ってぇ!」と電話をしてこられました。さっそく訪問してみると、中庭の「花のさんぽ道」でAさんを発見、詳しくお話を伺いました。
知り合いから貰った沖縄土産のミニパイナップルが鑑賞の末しおれてしまい、先っぽの葉の部分を切って、再び大きくしようと挑戦して一度は失敗したものの、特養看護師のHさんから同じ葉を譲り受け二度目の挑戦でついに根付き、立派に成長してきたというもの。はじめの失敗を教訓に、まず水につけて根っこを出してから植えたとのことで、慎重に扱ってきたAさんにとって喜びはひとしおでしょう。電話での弾む声の意味がようやくわかりました。
パイナップルの生命力には驚かされましたが、このまま大きくなった暁には実がなり、食べられるということでさらにビックリです。しおれた状態から手当てを行い、ここまで回復させるとは・・・Aさんはまさに「なんぶの救命救急士」です。
よくテレビで「ど根性大根」「ど根性スイカ」など、アスファルトの間から伸びる野菜や果物が脚光を浴びますが、葉っぱを繰り返し植えることで実がなるなんて、自然の力と人間の力が合わさったすごい「ど根性」だと思います。
Aさんは、日ごろから愛情を持って「花のさんぽ道」を整備されてますので、このパイナップルは今後も立派に成長していくことでしょう。
色々調べていくと、このように観賞用の植物を何代も育てる方がいる一方で、Aさんと同じ方法で市販の野菜や果物を自宅栽培する方がいらっしゃるようです。
http://doramifi.hp.infoseek.co.jp/page009.html ←リンク
ドリアンの栽培とか頭がクラクラしそうです。(´・ω・`)・・・
野菜や果物を食べる時、これまで何気なしに皮や葉っぱ、種など多くの部分を捨ててきましたが、今日のAさんの笑顔を思い出し、今後生かせる部分は生かしてみようかなと思ったT村なのでした。
(T村)
今日、ケアプランセンターにかわいいお客さんが尋ねて来ました。
お客様は苑の近くにお住まいの福田さん親子で、成実小学校に通う息子さんが夏休みの自由研究で、昭和42年に廃止になった「法勝寺電車」について調べていたところ、なんぶ幸朋苑のホームページでご利用者に「法勝寺電車スクリーンセーバー」をご覧頂いていることを知り、尋ねて来られたとのこと。
今は面影も無くなってしまった法勝寺電車について、「当時のお話を聞かせていただけませんか。」とのことで、さっそく特養入居者で元 安養寺駅長だったTさんを紹介させていただきました。
初めはかわいいお客さんの突然の訪問にとても驚かれたTさんでしたが、スクリーンセーバーを見ながら次第に当時のお話に花が咲き、とても嬉しそうにされていました。
お住まいの近くに線路があったことや、いつも見慣れた場所に駅があったことなどを知って驚かれた様子でTさんのお話にとても興味をもたれたようです。
私もTさんのお話を真剣に聞きながら、スクリーンセーバーで見た当時の様子などを小さな手帳で必死にメモをとる息子さんの姿がとても頼もしく、少しでも夏休みの自由研究のお手伝いができたことを嬉しく思いました。
この自由研究を通じて、何でもインターネットで調べるのではなく、お年寄りから昔のお話を聞くことの大切さや、無くなってから気付く物の大切さなどを感じ取っていただければいいと思います。
なんぶ幸朋苑では、このように地域の方が気軽に訪れていただける施設を目指しています。苑で何かお手伝いできることがありましたらご遠慮なくおっしゃってください。
福田さん、また遊びに来てくださいね^^。
(T村)
(最後にチーズ! ↑クリックで拡大)
その行程の中で、「弓ヶ浜展望駐車場付近の清掃体験」というのがあって、通訳としてはとても難しい選択を迫られました。流れ着くゴミの中には、ハングルが書かれているものも多く、地元の人がいつも苦労して拾い集めていることを韓国側に伝えたいという主催者側の思いと、楽しい思い出を作りに来た子供たちに海で遊ばせるのではなく、なんでゴミ拾いさせるのか?という引率者側の思いがぶつかるからです。
以前、その企画を聞いた時点で相手側の反応は充分予想できていましたが、直前になって予想通り、相手側からこの清掃についての異論が出て来ました。13時半にはマスコミ2社と現場で待ち合わせになっており、早く収拾しなければいけません。
色々やり取りした結局、「この清掃作業を通じて、同じ海を共有する者同士、一緒に環境問題を考えるきっかけになればいいと思い計画されたものなので了解してください。」という説明でようやく納得され、ようやく清掃作業が行われることになりました。
http://www.chukai.ne.jp/~real-s/news/070726.rm (←中海テレビ報道:再生はrealplayer必須)
実際に清掃を始めてみると当初予想よりも多くのゴミが流れ着いており、およそ30分で50kgのゴミが集まりました。
花火の燃えカスや空き缶など日本のゴミが一番多かったのですが、所々ハングルや中国語の書いたゴミもあり、学生たちはとても驚いた様子で、テレビカメラに向かって「きれいな海にゴミを捨てないで欲しい」と訴えていました。
一時は実施するかどうか不透明になった清掃作業でしたが、やはりやって見てよかったと思いました。
こうほうえんの職員指針「互恵互助」にも、「まずやってみる」ことの大切さについて書いてありますが、目の前の困難も実際にやってみると、案外簡単にできたりするものです。
結果的には束草市側の代表も「学生にとってよい経験になった」と好意的でした。
「評論家」にならず「まず、やってみる!」これこそ、真の国際理解を深める極意だと思ったT村なのでした。
(T村)
この6月19日から22日まで、韓国 慶尚南道南海郡より南海海城(ナメヘソン)高等学校の全校生徒212名と学校関係者30名の総勢242名がここ米子市を訪問しました。
海外からのお客さんでは県政始まって以来、過去最高といわれるほどの大人数の来県ということもあり、県文化観光局、西部県民局、米子市国際交流室、県西部日韓親善協会などで受け入れの実行委員会を組織し、私T村も民間国際交流団体の代表ということで参加要請をいただき、スタッフ兼通訳として参加して参りました。
今回は63名の学生がホームステイをしましたが、なんぶ幸朋苑の職員さんにも協力していただき、6名の受け入れをしていただきました。お忙しい中、本当にありがとうございました。
その中で、デイサービススタッフのFさんの家にホームステイした、3年生のパク・ソンヒさんとパク・ヒャンジンさんが、帰国直前の6月22日朝、なんぶ幸朋苑を訪問しました。
朝礼で挨拶をした後、各施設を見学しご利用者と挨拶を交わしましたが、どこに行っても笑顔で「こんにちはー」「アンニョンハセヨー」と頭を下げる二人にご利用者もとても喜んで歓迎されていました。ご利用者とお話を始めると意外なほど「私、昔は韓国に住んでいたのよ。終戦で帰ってきたけど、楽しかったわ」という方が多く、二人ともとても驚いていました。また、90歳以上の方でも、とても若々しいと驚いていました。他にも「キムチの作り方教えて欲しい」「韓国へ一緒に行きたい」「将来の夢は?」「日本の印象はどうですか?」など、どこに行っても話の輪が咲きました。今回、なんぶ幸朋苑を訪問したのはこの二人だけでしたが、様々なサービスを提供している日本の複合福祉施設に驚いた様子で、「(他の学生が)誰も見学していない場所だったので初めは緊張したけど、優しい人ばかりでとてもよい見学交流でした」と、ご利用者、スタッフに感謝していました。
最後には、ホストファミリーFさんとの淋しいお別れがありましたが、「高校を卒業したらまた来ます。それまで皆さんお元気でいてくださいね!」と、涙をぬぐいつつなんぶ幸朋苑を後にしました。
交流の終わりはいつも淋しいものですが、言葉ではなく心が通じ合ったからこそ感動するんだなあと、いつも思います。また、苦労があったからこそ感謝されることも身に沁みてわかりました。私もお昼から交流に駆けつけ、夜遅くまで連絡調整にあたるなど、4日間苦労が絶えませんでしたが、色々勉強になった今回の交流事業に参加でき本当に良かったと思いました。これからも民間交流ボランティア活動頑張ります!
(T村)
5月12・13日の2日間にわたり、日吉津海浜公園で毎年恒例の「24時間リレーマラソン大会」が開催されました。この大会に今年で2回目となる「フレッシュ!!なんぶ幸朋苑」チームで参加して参りました。
このチームは、なんぶ幸朋苑の各部署からの代表選手とケアハウス、グループホームなるみのご利用者、総勢67名で結成されており、部署を越えた職員の相互交流とご利用者の社会活動参加を目標にして、前回大会からなんぶ幸朋苑家族会のご協力をいただき出場をさせていただいています。
正午にスタートして翌日の正午まで、24時間タスキをつないで行く過酷なレースですが、「フレッシュ!!なんぶ幸朋苑」チームは記録への挑戦は一切考えず、楽しい交流の場を提供するための参加を目的としています。また、初回参加から私設救護所を設け、他チームの選手たちの救護も行っています。今年も6名の方がテントを尋ねて来られました。
テントサイトでは懇親会が催されゴスペルオーブのライブやビンゴ大会がありました。同じコタツにいろんな部署の職員が入り混じり、夜遅くまで話の輪が広がりました。
「フレッシュ!!なんぶ幸朋苑」チームの主役といえばやはり、ご利用者代表選手の皆さんです。昨年はお2人だったご利用者代表選手も今年は一気に5人となり、他のチームの参加者たちからも盛んな応援を受けながら無事にタスキをつないでいただきました。私も最終ランナーのグループホームご利用者と一緒に歩きましたが、コースの半分が海岸に面しており、さわやかな潮風を浴びながら「なんと景色がええなあ~」「みんな走ってござあねえ」と、のんびりした雰囲気で写真を撮ったりお話ししながらご利用者のペースに合わせて歩かせていただきました。そのお蔭でかゆっくりと景色が流れ、競技参加中には気にもとめなかった草木や花に気付かされるなど、大会の最後に色々な発見をさせていただくことができました。追い越していく選手達も「おばあさんがんばってください!」「もう少しでゴールですよ~!」と声援を送っていただき、おばあさんたちも「あんたやちもがんばんないよぉ~!」と答えておられました。最後はみんなで手をつなぎゆっくりとゴールしました。競技とはいえのんびりと幕を閉じたレース参加でしたが、これが「フレッシュ!!なんぶ幸朋苑」らしさではないでしょうか。付き添いの職員の皆さんもお疲れ様でした。
一夜明けて、私も準備、後片付けで大変疲れてフラフラでしたが普段は中々話をする機会がない違う部署の職員同士が廊下で「昨日はご苦労様でした!」と挨拶しあう様子を見て、『今年も参加して良かった!!』と思うT村なのでした。参加に際し協力を頂いたみなさんありがとうございました。
(T村)
先日、ある会合で倉吉から来た人を迎えに行って会場まで案内していたところ「ほお、米子の市街地は電線を部分的に地中化しましたね」と言われました。
今まで全く気にもしなかったことなので、一瞬焦りましたが、付近をよく見るとたしかに電柱や電線が見当たりません。そういえば少し前まであんなにあった木製の電柱が、知らない間にコンクリート製に変わってしまったことがありましたが、今度は部分的とはいえ知らない間に電柱そのものが消えてしまいました。地震などの災害時に受ける被災率は空中線の80分の1、電柱が倒壊して交通をマヒさせることも無いことから電柱の地中化は全国で進んでいるようですが、世界的に見ると日本はまだまだ遅れているようです。東京23区の7.3%・大阪の3.1%に対しロンドン・パリはなんと100%、ニューヨークでも72%となっています。
災害面だけではなく景観にもよいとのことで、市街地だけではなく地方の観光地などを中心に電柱の活躍の場は少しずつ消えているようです。でも、永年見慣れたものだけになんか寂しい気がします。
ところで、なんぶ幸朋苑の近くに立つ電柱の上に鳥の巣が作られているのに気付きました。
通報や電力会社の巡回で見つかった場合、空の巣であれば撤去されますが、卵があった場合にはしばらくの間は撤去されないそうです。この巣がいつ消えてしまうのか気になるところですが、また知らない間に消えてしまうことでしょう。でも短い間とはいえ大山を一望できる見晴らしのいい場所で育つ小鳥たちが羨ましい限りです^^。
(T村)
4月7日(土)米子コンベンションセンター「BigShip」にて当法人の研究発表会が開催されました。
従来の施設群の職員はもとより、この春開設した東京都北区の「うきま幸朋苑」や家族会・地域代表、中国人研修生など多くの方が集まり、140題以上の研究が5つの会場に分かれて発表されました。
私も8年前から、毎年なんぶ幸朋苑職員の発表原稿やスライド作成のお手伝いしたり、コンピュータ委員として発表大会に関わってきましたが、発表内容、スライド共に年々職員のレベルが上がっているなと実感させられました。特にユニットケアへの移行後は、各ユニット毎に職員のアイデアが活かせやすく、「居酒屋に行きたい」などご利用者の些細な望みを叶える小回りの効いたケアが提供されている様子にとても感心しました。また、忙しい合間に作ったにもかかわらず非常に見やすく、コンパクトにまとめられたスライドを見ると、そこらの学会より勝っているのではないかと思ってしまいます。どの発表もそれぞれの立場で専門性を持った意見が多く、とても聞き応えのある発表でした。今回の発表から何題かは老健大会などの全国大会で披露されますが、分厚い抄録集を見ていると、全て全国に通用する内容だと思いました。発表者だけではなく、運営スタッフも非常にてきぱきと動き回り、とてもすがすがしい気分の中で無事、全ての行事を終了することができました。
今朝、出社すると机の上に特養の男性スタッフMさんから「研究発表では大変御世話になりました。本当に助けて頂き感謝しています。ありがとうございました。」とのメモと一緒にドーナッツがおいてありました。また、ポスター発表をお手伝いをしたS課長からもご丁寧なお礼の言葉を頂戴しました。このように研究発表大会という大きなイベントを終えて、心新たに現場に戻り、ご利用者と関わっていくスタッフの姿に対し頼もしさと、さわやかさを感じました。また、このように素直に感謝の心が言える、これこそご利用者に感動を与える姿勢だと思います。この発表会を通して、旧知の親交を深めただけでなく、多くのスタッフから知識と感動をもらい、「私も負けちゃおれん!」と思うT村なのでした。
(T村)
最近ではインターネット上に「○○県人度チェック」というものが多くあります。今回はいろんなサイトからヒントをいただき「米子人度チェック」を作って見ました。息抜きにやってみませんか?
米子人度チェック(30項目)
● 他府県人から、島根県と間違えられたり「取鳥県」で郵便が来るのがいやだ。
● 米子の商店街の土曜夜市に行ったことがある。
● 境港市の「ゲゲゲの鬼太郎」の町おこしが羨ましいと思う。
● 遠くから知りあいが来ると、境港駅前の 「鬼太郎ロード」を案内する。
● その境港のことを「サカエ」と呼ぶ。
● TVの全国版で米子が紹介されると手を止めて見てしまう。
● がいな祭の万灯が、秋田のパクリだということは、あまり気にしない。
● 情報はBSS山陰放送『土曜日の生たまご』から得る。
● また紹介されたお店にさっそく行ったことがある。
● 今でも王子製紙米子工場のことを「ニッパ」と呼んでいる。
● 「山陰の釣り」に知り合いが写っていたことがある。
● ホワイトおじさんを知っている。
● 元フジテレビアナウンサーの木佐彩子の里が米子なのが誇らしい。
● クシャおじさんが晩年米子に住んでいたことを知ってる。
● 今はない米子の大丸の前身が「米子ストア」だということを知っている。
● 西部生協で買い物をしたことがある。
● 法勝寺電車に一度は乗ってみたかった。
● 商店街の新春初売りが寂れて悲しい。
● ソウル便で帰国した際の「当機は米子国際空港に着陸しました」のアナウンスが照れ臭い。
● 皆生温泉といえば「ヘルスランド」だ。
● 米子が日本トライアスロン発祥地であることは少し自慢だが、あまり興味がない。
● 鳥取県が砂で覆われていると思い込んでいる他府県人に出会うとうんざりする。
● 米子駅を発着する列車を「汽車」と呼ぶ。
● 日野川鉄橋を1両編成の「汽車」が渡っているのを見ると悲しくなる。
● やくも号から昭和町の「ようこそ米子へ」の看板を見ると、故郷に帰ってきた事を実感する。
● お菓子の寿城が観光バスの他府県人であふれているのは嬉しいが行ったことがない。
● 駅弁といえば「吾左衛門寿司」だ。
● 梨、かには人からもらうものだと思っている。
● 広域合併で大きくなった鳥取市民が米子市を下に見ている事に関して「勘違いしてる」と感じる。
● ガイナーレ鳥取が鳥取に拠点を移して残念だ。
25項目以上の方はおめでとうございます!立派な米子人です!
ヾ(・∀・)っ
(T村)
先日、なんぶ幸朋苑のホームページに「なんぶお見舞いメール」コーナーを開設しました。遠く離れたご家族やご親戚からのメールを印刷してご利用者にお渡しするサービスで、いくつかの病院では導入されているものの老人福祉施設ではほとんど行われていないようです。
このサービスの開設にあたっては、今年度、こうほうえんが取り組む行動指針書「互恵互助」の中にある「やってみよう!とする職員」=「評論家ではなく実践家」という、まさに的を得たこの言葉からも勇気をもらいお見舞いメールも「先ずやってみよう!」ということになりました。
そして届いた第一号のお見舞いメールは東京のお孫さんから入所中のおじいさんに宛てたものでした。
ご自身の初節句の頃の思い出話と一緒に、その方のお子さんの初節句の写真が添えられていました。ご利用者にお手紙をお渡ししたときは、はじめは何ごとかと思われたようでしたが、みるみる表情が笑顔に変わり、「ほほほっ!」っと満面の笑顔で喜んでいただきました。
その様子をお孫さんにメールでお伝えしたところ、「遠くに住んでいる者として、本当に本当に嬉しいサービスです。施設を移ったと聞き心配しておりましたが、このような温かな場にお世話になることができ安心しました。ありがとうございます。」と、ご丁寧なお礼のメールが届き、今後もお見舞いメールを利用したいと喜んでいただきました。
さっそく老健の吉川施設長に報告したところ特養、老健の課長さんから「素敵なメールだね!」とお褒めの言葉を頂き、「先ずやってみてよかったなあ^^!」と嬉しくなりました。
5月12日13日には、昨年起案して今年で2回目となる「24時間リレーマラソン」への施設参加をする予定です。昨年は、救護所の設置やイベント提供、しし鍋の一般参加者への振舞いなどが皆さんに喜んでいただけたようで初出場だったにもかかわらず「特別賞」を受賞することができました^^。スタッフだけではなく入所者の方にも参加していただき、多くの方に「ええ思い出ができました」と喜んでいただけましたが、私たちはサービス業として純粋にご利用者サービスを考えなければならず、これからも皆さんの喜びの声を励みにして事務職員として「楽しく」「喜んでいただける」改善や提案を続けていきたいと思います。
(T村)
2月21日 満七十六歳の誕生日を迎へる事ができました。年を余り気にしていなかった私も、中間を過ぎ八十才に手が届くとなると気重になってきました。
2月も終わろうとしているのに昨日も晝(ひる)下がりデイルームで空を見上げると、澄み切った青空に白い雲がポッカリ、まるで小春日和でこの儘(まま)春が感じさせる陽気。世界では地球温暖化と騒がれ懸念されているのに、でも三月がある雪がどんどん降るかも。異常気象に支配されている今日この頃です。
話題を変へると私はNHKの番組は固いて余り家ではみていなかったが、今ではニュース、国会中継と見逃さない様みています。
晝食后ほっとしている時テレビのスイッチを入れると連續テレビ小説が放送されていました。それから毎日見るのを楽しみにしています。特に今放送されている「芋たこなんきん」大阪藝能人総出演、人情味溢れるドラマにテーマソング「ひとりよりふたり」軽いハミングで私も口ずさんでいます。又、花岡町子こと藤山直美。さすが藤山寛美の娘と驚嘆してみています。これからも楽しみに見させて貰います。今日は長談義となりました。この辺でペンを置きます。
小春日や 何想うかな 白い雲
特養入所者 Sさん
今日、仕事をしていると隣のデイサービスから懐かしいハーモニカの音色が聞こえて来ました。初めはBGMかと思って聞き流していましたが、曲によってはまだ練習中なのか途中で吹き直されたり止まったり・・・。しばらくしてからご利用者の演奏だと気付きましたが、一度は聞いたことのあるあの曲この曲に仕事も忘れ聞き入ってしまいました。デイルームを見ると吹いているのはご利用者のおじいさんで、周囲のご利用者も何人か目を閉じて聞き入っておられました。中には懐かしい曲で昔を思い出されたのか少し涙ぐんでいる方もおられました。なんともいえない素朴ないい雰囲気だったので、このおじいさんにお話を伺おうと声をかけさせていただきました。
そのおじいさんの名前は佐藤一郎さん(91歳)で、50年前に趣味で始めたハーモニカを今でも続けておられるとの事。ただ、ご高齢でもあり体調が良いときでないと吹けないということで、「今日は体調が良かったからハーモニカを持って来ました」と言っておられました。あるお医者さんによるとハーモニカは腹式呼吸を続けることから健康にもいいとの事で、佐藤さんは長年の趣味を通じて健康を保っていらっしゃるようで、本当にお元気そうでした。ハーモニカを吹くことで昔の光景や出来事が思い出されたのか、昔、九州に家族旅行をされたときのお話や、会社勤めをされていた頃のお話など、短い時間でしたが色々お話していただきました。ご自宅では家族に気を遣って「みんな出て一人になったときに練習してます」とのことで「他のご利用者に自分のハーモニカを聴いていただくことがうれしい」と笑顔でおっしゃっていました。これからもお元気でお過ごしいただき、デイルームでのハーモニカ演奏を続けていただきたいと思います。
ところで「おじいさんのハーモニカ」という外国の有名な絵本がありますが、その中にもおじいさんがハーモニカの音色を聞いてふるさとの景色や鳥のさえずりを思い出すシーンがあります。国は違ってもお年寄りにとってハーモニカは「過去と現在を結ぶ架け橋」なのかもしれませんね。
p.s. 今回、写真、氏名の掲載をご承諾いただいた佐藤様、ご家族様に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
(T村)
前回、韓国の新聞に「なんぶ幸朋苑」が紹介され、山陰中央新報にも取り上げられたお話の中で束草市からの依頼で日本側の新聞を束草市に送る話をしましたが、束草市から崔元福(チェウォンボク)企画監査室長他2名が来られた際、2月1日の歓迎会にて直接お渡しすることが出来ました。
(集合写真です↑クリックで拡大)
今回の訪日では水産業者間の提携や市役所間交流について様々な話し合いがされたということですが、諸事情から課題も残ったとの事でした。そんな中でも崔室長は米子の老人福祉施設と束草市公務員との関わりについて「非常にめずらしいことだ」と、とても驚かれ、束草市の職員が関わることで「なんぶ幸朋苑」の先進的な取り組みを韓国に紹介できたことは韓国の福祉業界にとっても喜ばしいことで、今後も民間レベルの交流を拡大していきたいと言われました。その他にも、韓国は最近「元気老人」が増えて、お年寄りといえども山登りに行ったり、車を運転したりと昔とはだいぶイメージが変わってきたために、施設に対する要求も複雑化してきたと言われ、団塊世代が高齢化していく日本と似ていると感じました。
ところで日韓には竹島、教科書問題など積み残した問題はまだたくさんあり、反日的な行動がテレビで報道されることがよくありますが、交流に対する意識や意気込みは韓国の方が意外と強いようです。この前向きな姿勢は、とかく保守的であったり、事なかれ主義的な日本人にはなく、大いに見習うべきかも知れません。以前、片山知事の講演会で「何でそんなに韓国江原道との交流を進めるのか」ということについて、「日本には見られない仕事のスピード感を県庁の職員にも知ってもらいたかった」と言っておられました。そういえば以前、県の日韓スポーツ交流で通訳をした際にも2年前の交流の酒の席上で「相互技術交流をしましょう」と約束した事を日本側がすっかり忘れていて、韓国側が調印文書を持ってきたのに「まあまあ・・」と「先送り」されてしまったことがありました。「あのとき約束したじゃないか・・・」と、韓国側の団長がとても残念がっておられたのが印象的で、「酒の席だったから」という日本側と「酒の席だからこそ」という韓国側の国民性の違いを見た気がしました。国が違うと意識も考えも異なりますが、一方的に「どちらが正しいか」を考えるのではなく交流を重ねて両方を見て考える事が大切なんですね。今回は米子市、束草市両市を代表して交流を模索される市役所の方々を間近に見て、とても勉強になりました。
最後に今回、このような機会を与えていただいた米子市企画部の矢倉部長、山本次長、植田室長に感謝申し上げます。
(T村)