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昭和42年まで、なんぶ幸朋苑がある米子市石井の近くを電車が走っていました。名前は「日ノ丸自動車法勝寺電鉄線(通称・法勝寺電車)」で 米子駅~手間駅(旧会見町)~法勝寺駅(旧西伯町)間の12.4kmで運転されていました。地元の足として永年運転されてきましたが、モータリゼーションの到来でやむなく廃止となりました。現在は西伯小学校と米子元町サンロード商店街に一両ずつ保存されていますが、時代の流れに忘れ去られようとしています。
そこで、ご利用者に懐かしい雄姿を見ていただこうと、なんぶ幸朋苑ふれあいステーション(ご利用者に自由にお使いいただけるパソコンコーナー:インターネットやカラオケが楽しめます)のスクリーンセーバーを先日から「法勝寺電車写真集」にしました。次々に現れる懐かしい電車の写真に足を止めて見入る方、「こーわ(これは)懐かしいなあ!」と笑顔がこぼれる方と反応は上々で企画側としてはまずまずの感触です。
私はこの電車に乗った記憶はありませんが(赤ちゃんでしたので)、年配の方があまりに反応が良かったので、昨日、地元地区運動会の慰労会で「法勝寺電車の思い出ってありますか?」と聞いて見ました。すると、今まで静かだった方たちが「懐かしいなあ~~!色々思い出がありすぎるわあ」と話しはじめました。それにつられ大勢の方があんなんだったこんなんだったと話の輪が広がりました。よくよく聞いて見ると「宗像で正面衝突したなあ」「わしゃ衝突したときの運転手知っとおで」「積んどる米俵から米がパラパラ落ちーだけん(落ちるので)よう拾いに行きよった」「米子駅と線路がつながっちょって手間や大袋あたりから梨を運んだもんだわ」「いたずらで棒のパンタグラフをとめてあるひもをひっぱって架線から(パンタグラフを)離して電車を止めて車掌によお怒られたもんだ」「わしは線路で硬貨を轢かせて薄っぺらにしたで」「人がよおけ乗お(乗る)と走い(走る)のが遅くなあだけん自転車で追い越せたで」「遠くから走ってくる客でも待ってごした(くれた)なあ」など、思い出話がつきません。地域住民の集まりで共通の話題が少ない中、この話題を出してよかったと思いました。
それにしてものんびりとした電車の思い出話をされるお年寄りは皆さんいい顔されていました。施設でも日々のかかわりの中でこのような話のきっかけを提供することも大事だと実感したのでした^^。
(T村)