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鳥取県米子市の老人福祉施設 なんぶ幸朋苑のスタッフやご利用者が参加するブログエッセーです。管理人やご利用者のエッセー、施設からのお知らせなど、このブログでなんぶ幸朋苑を身近に感じていただけたら幸いです。
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 昨日、予防通所リハビリルームにて毎年恒例となった餅つき大会が開催されました。各施設のご利用者が集まる中、蒸したてのもち米がうすに入れられいよいよ餅つきの始まりです。

(ご利用者にも餅つきをしていただきました。↑クリックで拡大)

「よいしょ!よいしょ!」と威勢のいい掛け声と共に、次々とつきあがる餅。中には立ち上がって踊っていただく方もいて皆さんとても楽しそうでした。横のテーブルではご利用者と職員が一緒に餅の切り出し作業を行いました。大きいのや小さいの、人によって形も大きさも微妙に違いますが、そこが市販の餅と違うところで人の手の温かみを感じることが出来ます。餅つきの後、会場ではさっそく「おしるこ」が振舞われ、参加されたご利用者は「やっぱりつきたてはおいしいなあ」とおいしく楽しいひと時を過ごされました。残ったお餅はお正月にも出されるそうで、当日実参加できなかった大勢の方がいまから楽しみにしていらっしゃいます。

一方、玄関では、こちらも恒例となった「なんぶ幸朋苑家族会」の皆様による門松作りが行われ、竹の切り出しから飾りつけまでプロ並みの手さばきで一対の立派な門松が完成し、玄関横に飾られました。家族会の皆様、ありがとうございました。また寒い中の作業、本当にご苦労様でした。

特養藤チームでは正月用活け花もいけられ、なんぶ幸朋苑の迎春準備は整ったようです。いろいろなことがあったこの一年、なんぶ幸朋苑をご愛顧いただき誠にありがとうございました。来たる年も、皆さまにとってよい年でありますように・・・。

p.s. 餅つき大会の最中、「ただごめも入れたけんな(ただごめも入れたからね)」という言葉が耳に入りました。「ん?」と思っていたらさっそく特養のMさんが私に「ただごめってなんて意味ですかねえ?」と聞いてきました。そこからの会話・・T村「ただ(無料)の米じゃないの?」  Mさん「そうですよねえ~」 T村「それしか考えられへんもん」 Mさん「要はご利用者の家からもらった米ってことっすかね」 T村「そそ!家で作った米を施設に寄贈してもらったんだわ」  二人「そうだそうだ!なんだやっぱそういうことかあ~(納得)」・・・・そこに端で聞いていた栄養士さんが「ったく・・・ただごめっていうのは普通の米(うるち米)のことで、もち米に混ぜてつくと粘り気が落ちて噛み切りやすくなるので、お年寄りが食べやすいように混ぜてるのよ!!」と言われてしまいました。

( ̄▽ ̄;)・・・

年越し前に一つ賢くなってよかったです。

(T村)

 

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なんぶ幸朋苑には、強力な助っ人の皆さんがたくさんいらっしゃいます。先日の文化祭でも演奏・踊りなど大勢のボランティアの皆さんの参加がありましたが、苑内各所での出し物でもスタッフに混じって多くのボランティアの方が一緒にお祭りを盛り上げていただきました。本当にありがとうございました。

文化祭の当日、苑内を歩いていたら目の前に私の知り合いが歩いていたので驚いて「こんなところで何してるの?ご家族が入所中?」っと声をかけました。すると彼が勤務していて個人的にも親しくさせていただいているアシアナ航空山陰支店の支店長さん以下、スタッフ6人でボランティアに来ましたとのこと。しかも支店長自らおしるこ屋さんになっていると聞いて更に驚き、早速お礼に伺いました。いつもはスーツをビシッと決めている支店長さんもこの日はラフなランニングウェア姿で「いらっしゃいませ!おしるこはいかがですか!」と明るく威勢のいい掛け声でおしるこを振舞っておられ、普段の姿とのギャップが大きすぎて思わず感動してしまいました。他にも多くの学生さん、ご利用者のご家族、地元の方々が共にサービスを提供する側に立っていただき、ご利用者だけでなくスタッフも支えていただきました。重ねて御礼申し上げます。

イベントの時に大勢のボランティアの皆さんに支えていただいているのは本当に嬉しく思います。また、イベント時だけではなく、日ごろから来ていただいているボランティアの方も何人かいらっしゃいます。食事介助、園芸、歌の指導、習字、話し相手など手伝っていただいていることは多岐に亘ります。

以前、なんぶ幸朋苑のパート職員だった佐藤さんは毎週木曜日になるとご利用者と活け花をされたり、お話し相手をしていただくなどボランティアスタッフとして来苑していただいています。今日は来苑される日だったので、次回、年末の正月用活け花をされるとき、なんぶ幸朋苑ホームページ「デジカメ探検隊」の取材をさせていただくようお願いをしに行きました。色々説明をした後に快くOKの返事をいただきましたが、話はそれだけでは終わりませんでした。佐藤さんとは数年前まで、毎週火曜日、私と二人で売店に立っていた仲なので、気兼ねもなく、ご利用者と一緒にお茶をいただきながら方言の話や、歌の話に花が咲き、手拍子で民謡も一緒に歌うなど楽しいひと時を過ごしました。

楽しい話に花が咲きました^^(↑クリックで拡大)

仕事中のわずかな時間に元気を頂いた佐藤さんに感謝しつつその場を後にしましたが、自分だったらなんぶ幸朋苑に来ていただく皆さんのようなボランティア活動が出来るだろうかと自分を振り返る良い機会になりました。与えられて感謝するだけではこうほうえんの目指す「互恵互助」にはなりませんので、自分なら何が出来るか考えて何か人の役に立てることをしていきたいと思ったT村だったのでした。

p.s. 12月26日(火)になんぶ幸朋苑家族会と地元ボランティアの皆さまのご協力で年末恒例の大門松づくりと餅つき大会が開催されます。ボランティア参加いただく皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。

(T村)

いよいよ12月です。いろいろあった激動の2006年もいよいよあと4週間を残すのみとなりました。そろそろ年賀状の準備をはじめましょうかね・・。さて、毎年12月はオーケストラの「かき入れどき」とも言われ、年末になると日本のあちこちで「第九」コンサートが行われます。ここ鳥取県でも先日、県民による第九コンサートがあったばかりです。ただどこの地域も思ったより公演の歴史が浅く、近年ブームのように広まって行ったようですね。特に今年は「バルトの楽園」「敬愛なるベートーヴェン」など、「第九」を扱った映画も公開され、物語の題材としても注目されているようです。

ところでなんで日本の年末に「第九」なのでしょうか。他の国ではここまで演奏されていないようですし、数人の外国人に聞いてみても年末=第九という図式は日本だけのようです。それに作曲家はベートーベンだけではありませんし、他にも合唱の曲は数多くあります。さらにドイツ語歌詞の内容もキリスト教をベースとしていることから、クリスチャン人口が1%にも満たないこの日本でここまで「第九」が流行るのは不思議で仕方ありません。

そんな謎を解くために(?)今年も「一万人の第九」コンサートに参加してまいりました。

(クリックで拡大↑)

前号でも書きましたが、秋から冬の3ヶ月で6回のレッスンがあり、そのうち4回以上参加しないと出演出来ないことから、もうやめようと思ってはいるのですが、あの達成感、充実感、爽快感は一度味わったらなかなかやめられません。それと、今年は優香、元ちとせなどの有名人と同じ出演者としてご一緒しましたが、番組制作の裏側が見れたり、お隣同士仲良くなったりと非日常的な体験ができることから、「また来年」となってしまうのでしょう。また歌詞に「忘年(ボーネン)」「が安全ベルト(ガンゼンベルト)」など、歳末交通安全運動を匂わすキーワードが入っており、日本の風習にもマッチしているものと考えられます^^; とにかく、「第九」ファンは確実に増えているみたいですね。詳しい歌詞はこちらでご覧ください: http://www.kanzaki.com/music/lvb-sym9f.html

そんな今年の「一万人の第九」にはおよそ20人くらいの90歳以上の方々がいらっしゃいました。最高齢は95歳だそうで、司会者の呼びかけに起立して手を振るお年寄りの皆さんは圧巻でした。今年もなんぶ幸朋苑のご利用者に「米子がいな祭り」や「24時間リレーマラソン」に参加していただきましたが、来年もこのように様々な機会に外に出ていただけるようにお元気でお過ごしいただきたいと思います。

(T村)

 

 

先日の文化祭では様々な団体の皆さんがすばらしい演技・演奏をしていただきました。お忙しい中、本当にありがとうございました。そんな団体の一つ「NPO法人ひまわり倶楽部」は、障害を持った人たちの社会参加を目指したグループです。事務局長の坂田さんとは3年前から「ボランティアフェスタ実行委員会」でご一緒しており、最近では「皆生音楽祭」でもお手伝いさせていただいている気安い仲なので、今回出演をお願いいたしました。急なお願いでしたが特養のスタッフKさんもこのグループに関わっていることもあり、快く出演依頼を受けていただきました。

そんなひまわり倶楽部さんが、定期的に開催しているイベントに「笑劇場」というものがあります。「障害者と音楽で郊外型地域交流のまちおこし」 を目指したもので鳥取県社会福祉協議会のボランティア普及助成事業でもあるそうです。以前から坂田さんにお誘いいただいていたのと、今回の文化祭のお礼も兼ねて昨日(11/28)、参加してきました。

ピザレストランを貸しきった会場には、今回来苑してくれたメンバーをはじめ、坂田さん、曽根代表、家原Dr、今井書店の永井さんなど知った顔も多く、和気藹々と歌におしゃべりといったなんともいえない心地よい時間を過ごすことが出来ました。

(クリックで拡大↑)

特にすばらしかったのは、曽根代表や障害者の女性が書いた詩に坂田さんが曲をつけたひまわりさんのオリジナルの曲の数々で手話を交えての大合唱に、障害を持っても夢や希望を忘れない姿勢や、それを支えるスタッフがうまく交わっているなあと感心させられ、私たちなんぶ幸朋苑でも必要なことだと痛感しました。与える介護から夢や希望を引き出す介護へ・・、これは私たちスタッフへの宿題のような気がしました。

あっという間の2時間でしたが感動や発見の多い、有意義な時間でした。次回、「笑劇場」には是非、他のなんぶスタッフにも参加していただきたいと思います。

今回、歌のパワーに圧倒された私も、12月3日には大阪の「一万人の第九」に出演してまいります^^。(参考: http://www.mbs.jp/daiku/2006/ )

今年で21回目の出演になります。パチパチパチ・・大阪から米子に帰って早8年、10・11月の2ヶ月で計4回以上のレッスンに参加し続けるのは楽ではなく、いつ辞めようかと悩み続けましたが、困難を乗り越えて歌い続けるひまわり倶楽部さんを見て、もう少し続けてみようかなと思うT村なのでした。ちなみに12月3日~9日は障害者週間です。

(T村)

(追記)本日、近隣の老人保健施設アイアイさんよりなんぶ幸朋苑ホームページに対し、心温まるお褒めのメールを頂戴いたしました。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました☆ m(_ _)m

なんぶ幸朋苑には第二次大戦の末期に広島で被爆されたご利用者がいらっしゃいます。今ではとてもお元気になられたTさんは、広島の中心部にあった名門の「山中高等女學校」(今の広島大学の前身)を卒業されていますが、その美しい思い出の校舎は原爆で全焼し全校生徒の9割にあたる387名もの在校生が亡くなった大惨事の現場となってしまいました。今では広島市中区千田町の校舎跡地に祈念碑が建っているそうです。

Tさんが話をされる被爆前の広島はいきいきとした活気のある町で、原爆投下で一変した町の様子などを聞くと戦争の悲惨さがひしひしと伝わってきます。あの状況を経験し、戦後様々な苦労をされて今ここで余生を過ごしていらっしゃるTさんにはいつも笑顔が絶えません。またその反面、筋の通らないことにははっきりとNo!とおっしゃるTさんから学ぶことも多く、人生の経験の重みや明るいバイタリティに頭が下がる思いがします。(バイタリティ=活力・生命力)

そんなTさんが私に本を貸してくれました。認知症にならないための様々なことが書いてあるもので、「T村さんも気をつけないけんよ」とのこと。『立場が逆やん!』と思いつつ高齢のおばあさんから言われると説得力があるというか、素直に「はい、ありがとうございます」とお借りしたのでした。

そんなTさんにお礼の気持ちで、ほとんど資料が消失してしまった「山中高等女學校」の在りし日の姿を見てもらおうとインターネットで写真を探してみました。祈念碑の写真は多数あったのですが、校舎の写真はなかなか見つからず苦労しましたが、ようやく一枚だけ校舎玄関が写った白黒写真を発見しました。他にも校章や名札などの写真もあったので、さっそく印刷して見て頂きました。すると、「ああっ、これ学校だがな!」と大喜びの様子。あまりに喜んでいただいたので、彩色加工をして文化祭で展示することにしました。様々なペイントソフトで失敗しながらようやく完成し、展示してTさんに見ていただきました。

(「山中高等女学校 入学式の朝」 ↑クリックで拡大)

Tさんは白黒写真から生まれ変わった彩色画に「ありがとう!上手にしなったなあ!」と大喜びで握手をしていただき、またしても事務員冥利につきる思いでした。

これからもTさんだけではなく、多くの方に喜んでいただけるように、介護スタッフに負けない気持ちでご利用者と接していきたいと思います。

(T村)

最近では、コンピュータの技術や処理能力が進歩して、今では見ることが出来ない昔の風景を映画やテレビで楽しむ事が増えてきました。NHKの朝の連続テレビ小説「芋たこなんきん」では、昭和40年ごろの大阪の景色が再現されています。(参考:http://www3.nhk.or.jp/asadora/topics/cg/index.html ) また映画「ALWAYS 3丁目の夕陽」でも、昔の上野駅や路面電車など見事な合成映像を見ることができました。

このような映像は全てCG(シージー:コンピューターグラフィック)といって、コンピュータに取り込んだ映像に処理を施し、仮想世界を作り出す技術によって作り出されています。映画「101」(ワンオーワン)でも、たった1匹のダルメシアン(犬)の映像を様々な角度から取り込んで、犬の大群を作り出しました。映画「パールハーバー」では、真珠湾に襲いかかる日本軍や被弾する軍艦が再現されました。壮大な空想世界は卓上のパソコンできているのです。音もシンセサイザーで、なんでも作り出すことが出来ます。

しかし技術の進歩は嬉しいですが、このような技術が当たり前になればなるほど、逆に昔ながらの技術力に驚かされ、今風の映像が安っぽく感じるのは私だけでしょうか。シンセサイザーで作る波の音はきれいですが、籐籠に小豆を入れて作り出す波の音も心がこもっているようでいいと思いませんか?真珠湾攻撃を扱った36年も前の映画「トラ・トラ・トラ!」では、今のようなコンピューターによる合成技術ではなく、実写で見事な映像を作り上げました。

(参考: http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00005HYOO )

オープニングに登場する戦艦「長門」や連合艦隊のシーンは圧巻で、CGで作った「男たちの大和」や「パールハーバー」を技術力で大きく引き離しています。日本のお家芸のアニメーションでも、今ではペイントデータを動かしていますが、少し前までは一枚一枚のセル画を手作業で塗っていましたね。

話がそれましたが、「CGは安っぽくて・・・」と感じる私も身近な仮想世界をご利用者に楽しんでいただく為には大いに使っていきたいと思っています。先日も、このコーナーで触れた「法勝寺電車」を現代に蘇らせてみました^^

宗像神社前にさしかかる法勝寺電車(クリックで拡大)

「あら、懐かしい!」「昔はここに家があったけどなあ」など反応は色々です。やはり音楽療法と同じく、お年寄りに昔を回顧していただくことは大切なんだと思いました。

(T村)

今朝、シャワーを浴びながら何気に浴槽を見ると、残り湯の表面に浮いてる細いものを発見しました。はじめは髪の毛かと思いましたがよく見ると「ががんぼ」です。ドジというかなんというか・・『よりによってなんで風呂に入ってしまったんだろう、かわいそうに』とシャワーを続けましたが、再度見るとかすかに動いてるように見えます。

「あれ?」と思い、近づいて見ると半分沈みかけた状態で確かに足が動いています。「こ、これは救出しなきゃ!(;゚Д゚)っ」と、慌てて小指で救い、小さい体についている水を吹き飛ばしました。服を着てががんぼを風にさらしながら、水で引っ付いていた足や羽をつまよう枝を使って慎重に伸ばし「ふーふー」息を吹きかけ乾かしていくと、足が動き出しました。

「がんばれがんばれ」と思いながら、曲がった羽も伸ばし、ついにはつまよう枝につかまりぶら下がるまでに回復しました。(写真↓)

やがて、歩けるようになり庭に放してやりましたが、今はどうなってるのでしょうか。偶然とはいえ、「見て見ぬふり」をせず確実になくなっていたはずの命を救えたことで、なんだかホッとしたのでした。あーよかった・・

(T村)

このブログエッセーは皆様のおかげで急速にカウントを伸ばしております。まもなく400カウントに迫る勢いです。元はといえば、なんぶ幸朋苑ホームページの「みんなの広場」コーナーからのリンク先の一つだったのですが、今では訪問者数で元リンクを大きく上回り、リピーターの数も数十人になっています。

確かに更新しないホームページにリピーターはいませんし、すぐに飽きられます。ブログとホームページだとどうしてもブログのほうが更新しやすいために、どんどん書き込みされるブログのカウントが上がるのもうなずけます。しかし、このままでは、「ふれあいエッセー」の一人勝ちになってしまうので本家ホームページも魅力あるページにしていきたいと思います。

そこで、本日「みんなの広場」コーナーを更新して、「なんぶデジカメ探検隊!」「なんぶ美術館」「リンク」を新たに開設しました。ページ作りのためにさっそく能面作りをされているご利用者に取材をしましたが、「こんなこと今までなかった。自分の作品をもっと多くの人に見ていただけてとても嬉しい」と、とても喜んでおられました。前回、エッセーを投稿していただいたSさんと同様に、施設に住んでおられるとどうしても外とのつながりが希薄になるため、インターネット上で外の社会と関わりが出来ることに喜びを感じておられるようです。

なんぶ幸朋苑は地域に開かれた施設を目指していますので、ホームページも賢そうな敷居の高いページではなく、もっとご利用者やスタッフの「体温」が感じられるような地域に親しまれるページにしていきたいと思います。

(T村)

(↑原本です。クリックで拡大します)

「つれづれなるままに・・・ 近況を記す」  

 

山陰には珍らしく秋晴れが續き、部屋にも日射しがさし込んでむしろ暑く感じる今日この頃です。

こちらへ入所して早や六年の才月が流れました。

老後の生活設計をしていなかった私には、ただただ戸惑うばかりでした。

そして私の人生こんな筈ではなかったと悔いの涙を流す事が幾度でした。でも、こちらの職員皆様のお蔭で車椅子の生活ですが今では平穏な日々を過ごさせて貰って居ります。

社交性のない世間知らずの私にとって二十代、三十代から九十代の方々と知り合う事が出来、又色々な事を教へて頂いて私の人生にとって大きな宝です。有難うございました。

これからは伯耆富士と云われる大山の紅葉、白雪をいただいた大山を眺めながら平凡な生活でもよい、過ごさせて頂けたらと願う日々です。

  

  七十路の 険しき坂を上りゆく

        倖せあれと 願う日々なり

今日はこれでペンを置きます。

  介護老人福祉施設なんぶ幸朋苑 Sさん(70代:女性)

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